納骨堂の歴史を紐解く
納骨堂はいつから存在するか知っていますか? 最近でこそ主流になりつつある納骨堂は、とても古い時代から存在していました。 そして、時代や各家庭のライフスタイルなどに合わせて徐々に変化し、今の納骨堂があります。
ここではそんな納骨堂の歴史について解説しています。 いつから誕生したものなのか、またどういう歴史を経て昨今の納骨堂になっていったのか、ここで知ることができます。 これから納骨堂を利用しようと考えている方も、現在利用している方もきっと参考になるでしょう。 地域によって歴史があることや関東と関西の収骨の違いについても簡単に説明しています。
目次
納骨堂の歴史について
近年利用者が増えているという「納骨堂」。 納骨堂では墓石を必要としないため、比較的安く供養できるのが特徴です。 また契約料を支払えば一定期間管理・供養してもらえるので、遠方でなかなかお参りができない方や家族がいない方などに適しています。 そんな納骨堂について、どんな歴史があるのか紐解いてみましょう。
奈良時代から存在する
納骨堂はここ数年にできたものではありません。 遡ること奈良時代、起源はここからはじまっています。 しかし納骨堂を利用できたのは一部の人のみ。 それも上流階級の人々のみだったため、庶民は「霊廟」と呼ばれる土葬が一般的でした。
土葬では豪雪地帯や自然災害でお参りが困難になることが多く、そういった天候に左右されないスペースで供養するために、納骨堂が普及しはじめたと言われています。 とはいえ、それも一部の地域のみ。 全国的に庶民が納骨堂を使えるようになったのは、大正時代に入ってからになります。
江戸時代になると「壇家制度」が敷かれ、納骨堂ではなくお墓も普及し少しずつ変化していきます。
その後、関東大震災によってお墓の管理が難しくなったことから、大正15年には都内各所に納骨堂が設けられるようになったというわけです。
地域によって歴史がさまざま
納骨堂としての歴史は説明したとおりですが、地域によっても歴史が存在します。 ここでは「九州地方」「北海道」「関西と関東の収骨の違い」について解説します。
九州地方
骨預かりと呼ばれていたものが納骨堂と似ており、出稼ぎでお墓を管理する者がいない人や、お墓を建てている途中・改装中に遺骨を預ける場合などに用いられていました。
北海道
積雪量がもっとも多い北海道では、冬になると雪でお墓が埋もれてしまうため、お寺に遺骨を預けることができました。 また屯田兵制度というのもあり、開拓で北海道に派遣された人たちが遺骨を預けることもあったと言われています。
関東と関西の収骨
さまざまな場面で違いがあるとされる関東と関西は、納骨の前に行われる収骨にも違いがあります。 関東ではすべての遺骨を納めますが、関西では一部の遺骨のみ納めます。 また骨壺も、関東はすべての遺骨が入るように大きく作られています。
永代供養を謳っている納骨堂はいつから?
納骨堂が永代供養を謳うようになったのは、昭和50年代からと言われています。 それまでは先ほど述べた納骨堂が一般的でしたが、昭和50年代以降は各家庭のライフスタイルも変化し、納骨堂にもさまざまな種類が増えてきました。
最近は特に“新しい納骨堂”が浸透しつつあります。 昔よりもさらに利用しやすく便利になってきているでしょう。
納骨って実際どんな種類があるの?
本記事では納骨堂の歴史に関することを紹介しました。納骨はいろいろの種類があります。納骨にはどんな種類がある?こちらの記事にて詳しく紹介しておりますので、是非参考にしてみてください。
納骨堂は古くから存在する
いかがだったでしょうか? 最近利用する人が増えている納骨堂も、最初に利用されたのは奈良時代まで遡ることがわかりました。 歴史の古い納骨堂も、時代や各家庭のライフスタイルに合わせて徐々に変化してきているでしょう。
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